------------------------------------------------------------------------ ●コラム:1本のベルモット かくだよしあき ------------------------------------------------------------------------ 1本のベルモットをあるバーに預けてある。そして、そのお酒を飲むのに 必要なだけのお金も支払い済みだ。 すなわち、手ぶらでその店に行っても、そのお酒が好きなだけ飲めるとい うことである。 僕はバーに行くと、いつも最初に飲むお酒がある。 チンザノのハーフ&ハーフだ。これは、ベルモットであるチンザノのドラ イとロッソ、すなわち赤と白を半分ずつ割って作るカクテルで、甘い赤と 強い白を混ぜる事によって、ちょうどよい味になるのだ。 また、そこにライムを少し絞ると、更に味はまろやかになる。 ベルモットというお酒は、ワインから作られる。ワインに各種の草の根や 木の皮を加え、そのエキスを抽出した、複雑な香味をもったワインの1種 である。 ワイン好きの僕としては、この「ベルモット」というお酒が大好きなので ある。そして、その中でも一番好きなのが、チンザの「プレミア」という お酒である。 これは、チンザノのロゼにあたる味で、とてもまろやかで、苦味があって、 本当に美味しいお酒である。 僕は、このお酒がいちばん好きで、毎日ボトルの半分ぐらいを飲んでいた。 「同じビンの中でも上の方と下の方では味が異なる」すなわち、「飲むと きによって味が変わる」、また、「同じお酒でもビンによって、味が全然 異なる」、そんな微妙な違いやこだわりを教えてくれた、僕にとっては先 生のような存在の、大切なお酒でもあるのだ。 「いい仕事をすれば、人を感動させることができる」、その事のすばらし さを知った。 微妙な違いにこだわることこそが、すばらしいと思った。 しかし、このお酒は、現在は廃盤になってしまって、ほとんどのバーには 置いていない。だから、もうどこでも飲むことができない。 それで、そのお酒を偲んで、同じチンザノの赤と白を混ぜて、似た味を作 り、そのお酒を思い出しながらハーフ&ハーフを、いつも飲んでいる。 僕がそのお酒と出会ったのは、ちょうど自分の会社を株式会社にしようと していたときで、とても躍動的であり、逆に不安だったときだった。 でも、「やれるところまでやってみよう」と思って、躍進することにした のだった。 それで、思い切りやってダメだったとき、そして逃げ出したくなったとき に、色々教えてくれたり、心を癒してくれた、このお酒を飲みたいと思っ ていた。 廃盤でなくなって手に入らなかったお酒を、友人が地方で見つけてくれて、 僕に2本くれた。僕はその2本のうち、1本を飲み、そしてもう1本を、 このバーに預けて、また、そのお酒が飲めるだけの料金も払った。 もし、いつか何かの理由で、僕が一文無しになったときとか、すべてのも のを捨てて、この土地を出ていかなければならなくなったときなどの究極 の状態になったとき、お金がなくても大好きなお酒が飲めるように、預け てあるのだ。 きっと、その預けてあるお酒を飲むときに、そのお酒は、僕を励まし、人 を感動させれる素晴らしさ、ものを作る喜び、などを、静かに思い出させ てくれるだろう。 僕が僕を好きだったころの僕を、呼び戻してくれるのではないだろうか。 今日もそのお酒を思い出しながら、ハーフ&ハーフを飲むのだった。 |
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