------------------------------------------------------------------------ ●コラム:きりんの足をした像 かくだよしあき ------------------------------------------------------------------------ 僕には、小学生の頃から何度も見ている同じ夢がある。その夢には、ちゃ んとストーリーがあって、しかも、見るたびにストーリーが進んでいる。 何日か続けてその夢を見ることもあれば、何ヶ月か忘れていて、ある日、 突然、続きを見ることもある。 その夢は、まるでテレビドラマのように、ちゃんと前回見たところの最後 の方から始まって、その続きから少しずつ話が進んでいく。 僕が自宅の2階で遊んでいると、下の方で物音がする。階段を途中まで下 りて見てみると、お母さんが「かまきり」の姿をした宇宙人に何かをされ て、「かまきり」に変身させられていたところだった。 そして今度は、お母さんがお父さんや妹を順々に攻撃して、家族中が「か まきり」になっていくのだった。 僕は恐ろしくなって、2階の窓から逃げ出し、屋根から外の倉庫の上に飛 び降りて、友人に助けを求めに行く、という物語だ。 しかし、夢の中は矛盾だらけで、今いる場所や、いる時間、一緒にいる人 などが、勝手にどんどん変わっていく。そして、シチュエーションも物語 の進行と関係なく、お構いなしにどんどん変わっていくのだ 普通ならば、こんな時、きっとあたふためくのだろうけれど、夢の中の僕 は、それらのことが矛盾に思えず、物語はスタスタと、先へ進んでいくの だった。 僕は子どもながらに「夢の中の矛盾に気がつかないのは、よくないことだ」 「その鈍感さは、きっと現実の世界でも起こってしまい、大事なことに気 がつかなかったり、大局に、気がつかなかったりするのではないのか?」 「これはいけないことだ、直さなきゃいけない」と思っていて、夢の中の 矛盾に、うち勝とうと考えていた。 そして、いろいろ考えた末に、夢だということがわかったときに、その登 場人物に「これは夢だ!」と言ったり、矛盾していることがあったとき、 矛盾を指摘してやろうと思った。 それで、寝るときに、それを意識して、「夢に騙されないぞ!」と思って から寝るようにしていた。 そうすると、だんだん夢が夢だとわかったり、夢の中の矛盾に気がつくよ うになってきた。この時、凄い精神力が必要である。 例えば、目の前に像がいるが、足を見るときりんの足がついていたりする。 普通、夢の中だと、そんなことは何の矛盾も感じずに流れていくものだが、 その時、それはおかしいと感じて、これが夢だと認識し「これは夢だ」と 指摘してやると、相手は困った顔もせず「よくわかったねぇ」と、澄まし 顔で答えてくる。 僕は上機嫌になって「へへへ、僕は偉いなぁ」なんて思っていると、次の 瞬間には、僕は赤いスポーツカーに乗っていて「夢だってわかっちゃった もんねぇ〜」と言いながら、手を振って走り去っていくのだ。 せっかく夢を夢と認識できたのもつかの間、また、僕は夢の中にひきずり 込まれていくのだった。 なかなか夢には、勝ち続けられないのだった。 しかし、毎日そんなことをするとだんだん打ち勝つことが多くなってきた。 夢だと気がついたときに、ふたつの遊び方がある。 「指摘して相手の様子を見る」のと、せっかく夢なのだから「思いきりむ ちゃをして、普段できないことをどんどんやっちゃう」というものだ。 「普段できないことをどんどんやる」のは、なかなか面白いものだった。 だけど、打ち勝つことをやり続けたのがよくなかったのか、それから何年 間かは、めったに夢を見ないようになり、例の「かまきり」の話も止まっ たままだった。 それはそれで、つまらないし、また、凄く疲れるし、もう僕は夢に打ち勝 つことはあまり考えないようにしていた。 先日、20年ぶりに「かまきり」の夢を見た。 超久しぶりだったので、凄く懐かしかったが、夢の中では、相変わらず街 中「かまきり」だらけで、家族や友人などもみんな、直立型の人間的な 「かまきり」だった。 矛盾だらけの夢と、その夢を客観的に見ている自分がいる。 そんなことを思いながら、先日公開された映画「マトリックス」を見ると、 とても、共感することが多く、凄く面白かった。 今、現実の世界でも、この夢と同じようなことが起こっているかもしれな い。 例えば、常識的に考えると全くおかしいことが、自分では不思議と思えな かったり、おかしなことが目の前で起こっていても、それに気がついてい ないんじゃないかと思う。 僕の目の前を、「きりんの足をした像」が歩いているのに、僕はそれに気 がつかない。 そんな事が起こっているかも知れない。 |
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