------------------------------------------------------------------------ ●土と陶芸4(陶芸体験記)♪ 〜最終回〜 かくだよしあき ------------------------------------------------------------------------ 完成した作品(陶器)を色々な方に見せてみました。 「欲しい〜」という人「ん〜、もっとこうしたほうがいい」と意見を言っ てくれる方、色々な評価がありました。一番残念なのは「無感動・無関心」 な人。「ふ〜ん」という感じなのでしょうか? また、でき上がった陶器を見て、紙粘土を買いに行った人もいれば、コラ ムを読んで何かを始めた人、手紙をくれた人、色々な方がいます。 でも、何も感じないのは寂しいものです。 僕は、自論ですが、「人には勉強できる事と勉強できないことがある」と 思っています。 知識や実績は努力すれば何とかなるし、今までにできていなくても、今か ら頑張れば誰でもができるようになると信じています。また、逆に今まで できてきたからと言って、これからもできるとは限らないので、その部分 では、あまり人を評価しないようにしています。 「勉強できない部分」とよんでいる所の方を、僕は重要としています。 花を見てキレイだと思う、傷ついている人を見て助けたくなる、頑張って いる人を見て応援したくなる、カッコイイものを見ると触りたくなる、青 い空を見ると深呼吸をしてしまう・・・ など、このような感性的なこと は教えることは難しいでしょう。 これは、持って生まれたものか、もしくは、環境や心の持ち方で左右され るもので、勉強したからと言って手に入れることはできないものだ、と僕 は思います。 この感性や感受性は、いろいろな人のいろいろな考え方を受け入れられた り、いろんなものを見て感動できたりすることが、その人のスキルであっ たり、心の広さや、ひいてはキャパシティーになると思うのです。 これは、新たに勉強することはできないというけれど、今、持っているも のを引き出したり、育てたり、広げたりすることはできると思います。 感受性は、生まれてきたときには、全ての人が持っていたんだと思います が、幼児の時にピークを迎えて、社会生活や資本主義にとらわれて、年を とるごとに感受性がどんどん削られていってしまいます。 そしてそれは、どんどんなくなっていくもので、速い人は小学生ぐらいで なくなってしまっていることもあります。 しかし、不思議なことに、老人になってボケが進むと、昔持っていた感受 性が甦ることがあるらしいのです。ということは、感受性はなくなってい るように感じるけれど、実は、心の奥底の方に眠っているだけなのかもし れません。 そこで、眠っている感受性を引き出すために、いろいろな刺激を受けたり、 素直に受け止めたりなどして、また、受け止めたものを自分のものにする ために実践したり、もう一歩進めて発信したりできればいいなぁと思うの です。 僕が陶芸を始めたのも、僕自身の感受性を忘れないように、そして、育て ていくため、更に、研ぎ澄ましていくためのものなのです。 よく人が僕のことを、「子どもの心を忘れていない人だ」とか「感受性が 豊かな人だ」とか評するけれど、それは、ただそれを持ち合わせているわ けではなくて、それを保つ為にこうして必死に努力しているからなのです そして、それについていつも僕は、自問自答を繰り返しています。 そのための1つの手段として、僕は陶芸を選んだのです。 なぜ陶芸を選んだのかというと、陶芸というのはいろいろな関わり方がで きるからです。 いろんな人の、いろんな時代に作られたものを見ることもできるし、触れ ることもでき、そして、自分でも作ることもできる。また、できあがった ものを人に見せたり、さわらせたりすることもできます。 さらにそれだけでなく、陶芸は、地域や年齢や性別にも限定されることも なく、だれでもが費用もそんなにはかけず体験できるのことなのです。 僕は、陶芸を通じて自分の感受性を高めたり、人との文化的コミュニケー ションができればいいなと思っています。 |
▲ 戻る |